DaysLog

(注)-読めば読むほど[業界の鵜]の素性が見えなくなって来ます。


1950年-
クリスマスに東京都文京区で生まれる。
1965年-
15歳でゴルフ場会員誌に寄稿、初の原稿料をもらう。
以後、企業PR誌などにイラストを寄稿。
高校生の頃から漫画やイラストを発表以来、
現在も漫画家、イラストレーターとして活動している。
1967年-
TBSラジオ「パックインミュージック」
イラストコンテストで優秀賞受賞。
以後、放送関係のイラストの仕事に携わるようになる。
1968年-
虫プロダクションのアニメーション「千夜一夜物語」に動画&トレスで参加。
1969年-
萩尾 望都氏、竹宮 恵子氏の作品を手伝う。
(所謂アシスタント)
日本オフロード協会にアートディレクターで参加。
1970年-
自動車週刊誌「ザ・モーター」誌上に
『アシュラのイラスト・ルポ』連載。
同誌、および日刊自動車新聞社自動車年鑑などで、自動車の解説&編集。
ザ・モーターにエッセイを連載していた
「バラが咲いた」で有名な紅白歌手、
マイク眞木のバンド「ラングラーズ」に参加。
ベース、ギター、マンドリン、ウォッシュボードを担当。
以後、イラストレーターとバンドマンの
二足のわらじを履く。
1971年-
郵政省・貯金局や中野サンプラザの
ポスターデザイン等を手掛ける。
1973年-
剄文社から『なぞなぞ1005題』出版。
80万部を売るスマッシュヒット。
1974年-
「ラングラーズ」脱退。
アメリカ西海岸に1年滞在し、
現地音楽レポートの傍ら、LA、サンフランシスコで
店舗宣伝などのアートワークを手がける。
日本の音楽誌に特派員として記事掲載。
1975年-
帰国。
音楽雑誌「ベアバック」の編集に
アートディレクション&ライターで参加。
洋楽プロモーターTom's Cabin Productionsに
アートディレクターで参加。
同時に、ツアーマネージャーも勤め、
多くのアメリカのミュージシャンとの知己を得る。
洋書「Quick Fox」の翻訳&解説等。
レコードのライナー・ノーツや音楽雑誌に執筆活動。
1977年-
戸井 十月氏主宰のプレス75に参加。
「平凡パンチ」、「週間&月刊プレイボーイ」、
「ポパイ」、「ホットドッグ・プレス」、「週刊明星」等で
イラストを発表。
1978年-
東京中日新聞 日曜版にパズル連載開始。
この連載は2011年まで形を変えて続いた。
戸井 十月&プレス75関係者と
バンド『711 LuckyOpen』を結成。
大学祭などに出演。
デザイナーの友人とアート・スタジオ
『Space2X2』設立。イラスト業に専念。
1980年-
友人とバンド『All That Blues Band』結成。
ライブ・ハウスや文化祭を中心に演奏活動。
自身の事務所『Ashura Studio』
(現在の『Ashura&Benny Studio』)設立。
以後10年間は基本的にフリーランスの
イラストレーター/ミュージック・ライターとして
パズル・メイカー、レコードジャケット、ポスター、
パッケージ・デザイン、雑誌広告、
商品(景品)開発等に携わる。
※当時の主なクライアント:
富士通/東芝/SONY/明星食品などの広告系。
集英社/マガジン・ハウス/Goggle/Mr.Bike/
日刊ゲンダイ 東芝EMI/WEM/徳間音工/ベンテン/
シスター等のインディーズ・レーベル。
リットー・ミュージック。
※デヴィッド・リンドレーの紹介で
ライ・クーダーと知己を得る。
以後、現在も友人として
彼のアルバム製作などをサポート。
1991年-
学習研究社「Hello World」誌に漫画連載開始。
任天堂公式ガイドブックに漫画執筆。
1992年-
「Nintendo Power」誌(Nintendo of Americaが
合衆国で発行しているゲーム誌)に『Star Fox』
の漫画を連載。(ストーリーはオリジナル。この設定が
後にゲームに採用される。)
これが縁でゲーム制作に携わるようになる。
※この時、糸井 重里氏の助言でマンガ用の
新しいペンネームを作る。
『伊藤紅丸』は漫画家としての名前。
任天堂 宮本 茂氏と知己を得る。
以来、現在もギター友達として親交を深めている。
AMIGAを導入3Dイラストレーションを手がける。
映像作家 岩井 俊雄氏の作品
「サウンドファンタジー」製作に参加。
ザ・モノポリーゲーム2製作に参加。
以降、フリーランスの傍ら、
任天堂のゲーム開発に携わる。
1993年-
「小学6年生」誌に「Mother2」のマンガ連載。
(後に、小学館から単行本化 出版)
1994年-
「Nintendo Power」誌(Nintendo of Americaが
合衆国で発行しているゲーム誌)に『Super Metroid』
の漫画を連載。(ストーリーはオリジナル。この設定が
後にゲームに採用される。)
リットー社刊「ギターグラフィック」に
『あしゅら伊藤の炸裂ギター放談』連載。
1995年-
「Mother3」製作に参加。
(プラットフォームを何回も変えながらも、
このプロジェクトは解散。)
クリーチャーズに発起人として参加。
1998年-
「Mother3」と並行して、
ポケモン3D関連のゲームに携わる。
1999年-
ゲーム以外のポケモン(アニメーション&商品開発)
に携わる。
2000年-
秋から全米の新聞に、「Pokemon」の四コマ漫画
を連載。
翌年「Pikachu Meets the Press」のタイトルで
単行本化。
PokemonCenter NY(翌年、開店)の
コンセプト&デザインを担当し、NYに1年半居住。
2001年-
復活したTom'sCabinProductionsのアートデザイン
を担当。
2002年-
クリーチャーズ退社。
HAL研究所 Kirby&3Dゲームのアドバイザリースタッフ
として参加。
2003年-
9月15日 日本青年館にて「Nintendo Big Band Live」(企画/司会/演奏)
2005年-
須貝 重太氏率いるRhythm&Bluegrassバンド
「元祖!」に参加。
2008年-
プローグ(ゲーム開発ディベロッパー)の顧問に就任。
後進のクリエイターを育てる社内講座を開設。
1978年当時、オフィスをシェアしていた友人が急逝。
彼が参加していたバンド「東京ボンバース」に後釜
として参加することになる。
2010年-
須貝 重太氏の新プロジェクト「OッK Brothers」
に参加。
2011年-
長年拒んでいた個展を
青山・タンバリンギャラリーで初開催。
戸井 十月氏とのバンド『711 LuckyOpen』を再結成『GANS&ROZINS』と改名。
2012年-
自身のバンド『Poison Biscuits』結成。
2013年-
絶賛活躍中!!!
Biography

伊藤あしゅら紅丸
Ashura Benimaru Itoh
(Cartoonist)

漫画家、イラストレーター、CGクリエイター、
ギター・アナリスト、ミュージシャン。その他もろもろ・・・
元クリーチャーズ取締役。
ゲーム業界のみならず、アニメや漫画など様々な分野に首をつっこみ、 自らを“業界の鵺”と評す。
豹柄をこよなく愛す。

summary

1950年東京都文京区生まれ。
高校生の頃から漫画やイラストを発表し、それからも
ずっと漫画家・イラストレーターとして活躍している。
糸井 重里氏が社長を務めていたエイプ制作の
攻略本にイラストレーターとして参加。
その後、Nintendo of Americaが発行している
ゲーム誌「NINTENDO POWER」で 『スターフォックス』や『スーパーメトロイド』の漫画を連載。
さらにこの頃、スーパーファミコン用ソフト「マリオペイント」
にハマって、クオリティの高い作品を数多く作り、
それが石原 恒和氏に目に留まって(?)
ゲーム制作に携わるようになる。
ゲーム制作で最初に関わった作品は
『サウンドファンタジー』。
エイプが休眠状態に陥って以降は、石原 恒和氏と
共にクリーチャーズの発起メンバーとなり、自身は
取締役に就任した。
クリーチャーズでは、モデリングチームの
ディレクターとして、『ポケモンスタジアム』シリーズ
のモデリングや アニメ『ポケットモンスター』の
エンディングCGを手掛けた。
2000年秋からアメリカのいくつかの新聞に、
ポケモンの四コマ漫画を連載。
この漫画は、小学館の米国子会社
Viz Communicationsによって、全米で20紙以上
の新聞に配給され、 その合計発行部数は1200万部
以上にもなる。
2001年に開業したPokemonCenter NYの
コンセプトデザインも担当。
2002年にクリーチャーズを退社。
その後『星のカービィ 夢の泉デラックス』や
『カービィのエアライド』の開発に参加、
HAL研究所の開発ソフトに携わる。
現在は、ゲーム開発会社数社のアートディレクション
を務めながら、フリーランスとして活動。
作品のテイストは玉石混交、融通無碍。
『森羅万象、古今東西のテイストを自家薬籠に採り入れ、
自分のものとしてアウトプットしたいと常に願っている。』とは、本人談である。
デヴィッド・リンドレーやジェニ・マルダーなどの海外
アーティストのアルバム・ジャケットのデザインや、 公演
ポスターなどの音楽関係のアート作品を中心に描くと
同時にバンド活動も積極的に展開している。